セラミックスの歴史

セラミックスの歴史

私は、セラミックスはなにか?と聞かれたら、縄文土器をすごくしたやつ、と答えることにしています。これはけっこう的を居ていて、石器時代から土器を発明したところから人類の歴史は大きく動くように成りました。そこから現代のスペースシャトルに使われたり、半導体に応用されたりしています。このページでは歴史を見ていきましょう。

目次

縄文土器と弥生土器
土師器、須恵器
芸術化と輸出品
セラミックスの工業製品化
ファインセラミックス

セラミックスの歴史

セラミックスの歴史

縄文土器と弥生土器

人類は石器時代から始まりますが、土を練ったり、火を使う中で、土を燃やしたら焼き固まることを発見したのでしょう。それをお皿として利用したり、トイレとして使ったり、時には通貨や恋人への贈り物として使われたのかもしれません。日本では、縄文土器や弥生土器があげられます。当たり前ですが、焼物の原料となる粘土-長石-ケイ石の配合に近い地質の場所で暮らしていた民族や部族のところで多く発見されています。
日本において東北では、約1万年前、独特の美しい装飾が施された縄文土器が、時代的には少し遅れて九州からシンプルなデザインの弥生土器が多く発掘されています。このことは九州が中国や朝鮮との交流が盛んだったことが裏付けられており、同時に九州から時代とともに北上するのは、なんともいえない気分にさせられます。
縄文土器は、焼き物の焼成温度は800度(摂氏)程度で、比較的低い温度で焼かれたものといえます。その後、大陸から稲栽培技術と一緒に移入した弥生土器は、もっと高い温度で焼 成された硬質のものです。縄文土器は野焼き、弥生土器は葉などをかぶせた焼成法で作られていることからこの差が出ています。

土師器、須恵器

土師器(はじき)は、今で言う素焼(700〜800°c)の土器です。5世紀後半の古墳時代には、すでに焼成温度の高い(1100)須恵器と呼ぱれる精巧な焼物が製造されていました。土師器と須恵器は並行して用いられてきました。一般に粘土を焼く温度を高くすると固くなり、金属のようにカチンとした感じがします。何がいいかはその人の好みでしょう。
やがて焼物に釉薬(ゆうやく)がかけられるようになるのは鎌倉時代が発祥の六古窯と呼ばれる産地で、焼成炉が築かれ、薪の自然釉がかかるようになった以降のことです。
土器は粘土のように自由に形を作ることができる材料を使って作製し、人類が初めて関わった化学反応である、ともいえます。やがて、「ひもづくり」から「たたら成形」、「ろくろ成形」を併用するようになっていきますが、いつの時代でも焼き物であることに変わりありません。

芸術化と輸出品

戦国時代-安土桃山時代(16世紀)の茶道の成立とともに焼き物が芸術性を帯びていきます。美術、観賞用や富の象徴となっていきました。茶道は、武家の世界に入り込み、有力な名家は陶工を集め、日本各地でお庭焼が研究、生産されるようになり、急速な発展をしました。さらに日本の磁器は、陶石と呼ばれる磁器製造に適した原料のおかげで、東インド会社を通じ欧州に広く輸出されるようになり、陶磁器製造という産業の成立すら出来上がります。
薩摩藩の小松帯刀という人物をご存知でしょうか。西郷隆盛や坂本龍馬とともに薩長同盟、明治維新の立役者で、経済的には、薩摩での殖産興業を起こした人物です。小松は、職人に輸出に値する陶磁器を作って欲しい、と依頼。それが当時の西欧でブームと成り、日本の陶磁器といえばSATSUMAのことでした。

セラミックスの工業製品化

近代に入り、次第に焼き物は工業製品としての意味合いが高くなります。たとえば、化学製品をつくるために質の良い陶器や磁器が必要になります。電気が使用されるようになると絶縁材料としての碍子や陶器が必要になりました。
先に見たように日本には江戸時代から積み上げた陶磁器製造の基礎技術を基盤に置き、比較的短期間のうちにヨーロッパの工業セラミックスの導入に精巧しました。お雇い外国人教 師はドイツのワグネルによって、東京職工学校(現在の東京工業大学)に窯業学科が作られたことを契機に多くの大学で研究が行われるようになりました。
明治以降、窯業は日本の重要な基幹産業として重要な経済的、工業的役割を成していきます。

ファインセラミックス

現代に入ると高純度に生成され、人工的にセラミックスの特徴を最大限に引き出したセラミックスが生まれます。それをファインセラミックスといいます。高度成長期とともに急速に成長し、セラミックスフィーバーと呼ばれました。特にエレクトロニクス分野への貢献はIT技術とともに新しい産業革命を起こしたといえます。